心とは

会主 丸山維敏

 

 

 「こころこそ こころまよわす こころなれ こころにこころ こころゆるすな」

 

この度、当会のホームページが様変わりするに際し、編集人の岡村淳氏より改めて、唯心会のシンボルマークである「心」について説明して欲しいとの要望がありました。

 

人が生きている限り、働いているのが心です。

 

そこでデジタル大辞典を開いてみました。

それによると「心」とは人間の理性・知識・感情・意志などの働きのもとになるもの。また、働きそのものをひっくるめていう云々とあとは長々と色々な説明が記されてありました。

 

要は、心が身体を動かしているということです。

合氣道で「氣を出す」と伝えますが「氣」とは宇宙に充満するエネルギーを指します。

 

そのエネルギーをどう使うか、ということが「心」によって決まるのです。

 

つまり、心で「氣が出ている」と思へば元氣になるし、「もう駄目だ」と思へば、しおれてしまうのです。

 

冒頭に記した文は昔から云われている言葉です。人間は「心」の持ち方次第でいくらでも変われるということです。

 

「心により氣は動く」と記しました。

いつでも「明るく」「積極的に」活きる為には、その活き方を心で思ひ、言葉に出すことです。思っただけでも氣は動きますが、言葉に出すことによりさらに強く身体に影響します。

 

私はいつも三つの氣の言葉を常に自分に云ひ聞かせています。それは、

 

「勇氣」「元氣」「本氣」です。

「やりたくないな」と思うことでも「やる勇氣」そして「やる元氣」。

やる以上は「本氣」でやることです。

 

ためしてごらんなさい。元氣が湧いてきますよ。

 

願はくは会員諸兄姉よ。

この閉塞した世界に「積極的な心」を持って前述の「三氣」で心を鍛えていこうではありませんか。

 

「心とは」(二)

会主 丸山維敏

 

合氣道唯心会会員の皆さん

 

「明けましてお芽出度う御座います」

 

今、日本中がコロナ渦で大騒ぎをしております。

政府の発表により、GO TO トラベルが中止となり、実家に帰りたくとも帰れない人。

正月休みを利用して旅行を企らむでいたのに行けなくなった人。さまざまだと思ひます。

 

これで思ひ起こすことは、旧約聖書の「出エジプト記」と「ヨブ記」です。

 

かつてユダヤ人は、エジプトに奴隷として住んでいました。一口に奴隷と云っても、鞭打たれる要尾なものではなく、今で云う下級国民として労働に従事していただけで、自分達の住む家、給金が保証されていました。だから彼等は彼等なりに幸せだったのです。

 

つまり、今の日本人がのぞむ「安心、安全、幸福」ひたり切っていたのです。

 

この言葉で思ひ出すのは動物園の動物達です。あの檻に入れられた動物達は外敵に襲はれる心配は無く、食事も自分達の好きなものを十分に味われるのです。勿論医療の方も充分に配慮されております。

 

如何ですか。今の日本人とよく似ているでしょう。

 

私の知人がかつてアフリカのケニアを旅行した時、多くのライオン、豹、その他の獣達に遇ひました。その獣達の目付きの鋭どさ、動きの敏捷さに圧倒されたそうです。

 

それに引き替え、動物園のライオン他の獣達の生気の無さ。ゴロンと横になって、目の鋭どさなど何処にあるの、と云う様です。

 

知人はその後、全ての動物園に行くのを止めました。「生きながらの死骸を見たくない」。

 

さて、「安心、安全、幸福」に浸り切っていたのでかつての人達は、今の日本人に欠けているものを一つ持っていました。

 

それは「信じる」と云ふことです。

 

人間が他の動物達と違うところは「信じる」という心の働きです。

 

「汝自身を知れ」という言葉があります。それは自分が「知らないといふことを知る」ことなのです。

 

しんの「知者」とは神のことだけを云ひます。

 

では、「神」とは何か。私は㒼物を創った宇宙エネルギーである。と記しました。私が親しくお付き合ひいただいている執行草舟先生は「神とは、この宇宙の根源的実在であり、我々の生命を送り込んだ実体のことである」と定義づけられています。

 

いずれにせよ、ユダヤ人達は「神を信じる」心をもっていました否、彼等は何の不自由もない生活二一時、神を忘れてしまったのです。当時のユダヤ人はエジプトに住み、贅沢を覚えてはや4百年が通過していました。この長い安住の歴史を断ち切るにはエジプトの地を捨てるよりほかはない。そこでモーゼはは約二十万くらいといはれた単なる物語りではなく実話なのです。

 

これより、ユダヤ教が出来、それに続いてキリスト教が生まれ、西洋文明が生まれました。また、それに関連してイスラム文明も生まれ、伝承されることとなったのです。

 

話が長くなりますので、今回はここまでし、続きは次回に致します。

 

只、ひとつ大事なことを記します。

「我々の生命をこの地球に送り込んだ実体」すなわち解りやすく云えば両親です。その生んでいただいた恩も忘れ、あまつさへ「神(父・母)なんかいるものか、オカルトじゃあるまいし」という輩に明日はないと云うことをここにはっきりと明言します。