神と合氣道 (その一)

会主 丸山維敏

 

 

いきなり、若い人や唯物論者の方々が眉をしかめる題になりました。

 

しかし、神とは何でしょう。日本人ならまず天照皇神を思ひ浮かべ、西洋人ならイエス•キリストを思ひ浮かべるのではないでしょうか。

 

特に、若い方々はある一部の人々を除いて、オカルト的な「神」といふ言葉が大嫌いな様です。

 

でも、少なくとも「合氣道」と称する武道を稽古する方は、その創始者である「植芝盛平」師(我々弟子達は「開祖」とおよびしていますので、此の後総て「開祖」と記します)が熱心な神の信奉者だったことを忘れてはなりません。

 

開祖のみではありません。日本の古武道と称される「鹿島神流」「香取神道流」。また西国では鞍馬寺を元とする「京八流」が全て神を信奉して創始された武道なのです。

 

つまり、日本武道と神は一体なのです。

それが何故神と聞くと舌打ちする輩迄出てきたのでしょう。

 

ご存じと思ひますが、西洋人はイエス•キリストあるいはムハンマドという、かつて人間だった人を信ずる一神教です。謂はば自分達の王です。王の云ふことは絶対です。それに背く輩は殺されるのです。世界の戦さは一神教の人々がおこしたといっても過言ではありません。勿論、それが全ての戦争だと云ふわけではありません。

 

従って、一神教の人々は王の云ひつけを守って戦ふのであって、武術そのものとは何の関係もありません。

 

その戦ひの様を遊戯としたのが「スポーツ」であり、その目的は「勝つこと」にあります。

 

日本では第二次世界大戦以降、全ての武道を「スポーツ」としてしまいました。

 

つまり、一定のルールの元に勝ち負けを競う遊びにしてしまったのです。

 

では、合氣道とはどうでしょうか。

 

答えは次にゆずりましょう。