神と合氣道(その二)

会主 丸山維敏

 

長いことお待たせ致しました。ご存じの如くコロナ渦の為、稽古も中断したままになっておりましたので、つい、書く氣も失せてしまいました。

 

幸い、新型コロナウイルスの新規感染者も減ってきており、街にも活氣が出て参りましたので、ここで、(その二)をお送りしようと思います。

 

日本では、全ての武道をスポーツとしてしまいました。そこで合氣道は…というところで終わりになっていました。

 

合氣道の創始者はご存知の通り植芝盛平先生です。

 

先生を私達は「開祖」とお呼びしておりますので、これからは「開祖」と記させて頂きます。

 

私事で恐縮ですが、私が合氣会に指導員として在籍させて頂いた頃、開祖は本当に私を可愛がってくださいました。毎日、私を受身に使ったのみならず、私が子供クラスを教えていると、必ず道場へお出になり、私を受身に使って演武をおやりになりました。そして最後に必ず飴を子供達ひとりひとりに配りながら頭を撫でて「丸山先生は良い先生じゃぞ、言うこときかにやいかんぞよ」と仰りました。先年も、あの頃の子供?今はいい年になられた女性とお会いしてコーヒーをのみながら思い出話に華が咲きましたが「植芝先生がくださる飴が楽しみだった」と夢見顔で話されている姿が忘れられません。

 

閑話休題。神と合氣道につき思うところを記させて頂きます。

 

まず、私は開祖がお亡くなりになる前の二年間、殆んど毎日の様におつかえし、特に最後の三ヶ月間は、他の指導員と交替に、毎週土曜日の夜六時半から朝六時半迄、一睡もせず枕元に正座してご看病申し上げました。

 

そこで申し上げたいのは、開祖にとって、神と合氣道は切っても切れない、否、神こそ合氣道なのです。合氣道こそ「神ながらの道」なのです。開祖はお元氣な頃は、必らず読書と云えば「古事記」であり、出口王仁三郎の記した「霊界物語」でした。

 

稽古の始めには必ず二礼四拍手して「天津祝詞」をおよみあげなさいました。

 

では、神とは何でしょう。

 

私が現在、心の師と仰ぐ戸嶋靖昌記念館館長の執行草舟先生は

神とは「この宇宙の根源的実在であり、我々の生命をこの地球に送り込んだ実体」である。

と、定義づけられております。

 

また、執行先生は、私の「愛とは?」という質問に対し、「愛は、信じる力である。愛の本質というのは信じることだけにしかない。

 

人間というものは、何を信じるかだけの存在なのだ。人生を本当に動かすものは、何かを信じた力だけなのである」とお答えなさいました。

 

「合氣道は愛である」と開祖は云われました。「我独り舞えば天地舞う」とも云われました。これは大自然の法則を信じ、それと一体となり、大自然の動きに溶け込んで動く時、

 

そこに心から大自然(宇宙)を信じ、敬愛する心が湧き出でるのです。宇宙とは神です。

 

これが「合氣道は愛である」の開祖の答えなのです。

 

つづく