神と合氣道(その三)

会主 丸山維敏

 

「皆様、明けましてお芽出度うございます。」

 二〇二二年の幕が開けました。思へばコロナ渦に翻弄された去年、一昨年でした。

 折角、新規感染者が減ってきたと思へば、オミクロン株なる新種が出現し、世界の人々をおびやかしております。まるでイタチごっこです。

 

 前回、開祖は神イコール合氣道である。と云はれたことを記しました。また「合氣道は愛である」、その愛とは何を意味するか、と云うことも記しました。

 私は開祖におつかえした最後の弟子として、皆様にお伝えしようと思ひ、ある時期から教え方を変えました。

 その途端、どうでしょう、東京の狭い道場に最底二十人は居た稽古人が、たった三人に激減してしまったのです。

 外国の道場で日本の神の話をしてもはじまらないので、外国では日本の神の話は一切致しません。只、どうしたら投げられるか、つまり柔道や格闘技とどこが違うの、と云われそうな教え方をしています。従って、外国のお弟子さんは減ってはいません。何で?何故日本の神々の存在を皆疑うの?と私は悩みました。以前にも記しましたが、神のご意志に添った生き方をしていれば、あの八十年前の大戦で、B二十九の大爆撃で東京は丸焼けになったのに、私の住む街(日本橋人形町)だけ、ポツンと爆撃を受けずに焼け残ったのです。また外国でも、特にイギリスでは、私のセミナーの前は何週間も雨が降り続いていたのに、私のセミナー期間だけ、一点の雲もない晴天で、セミナーが終り私が空港より飛び立つのを待っていたかのように雨が毎日降り出したそうです。

 また数年前、三浦半島を直進してきた台風が多摩川(神奈川と東京の県境)迄来た時、私がソファから立ち上がり、口に呪文を唱へ手で印を切った瞬間、台風は多摩川上空で急に向きを変え、九十度左に曲がり、山梨、長野の方向に向き直ったのです。あちらで被害に合はれた方々には悪いと思ひますが、途に角、首都を救うことはできました。

 これ等の奇跡には多くの証人がおります。

 私はことあるごとに、こういった話をしますし、稽古時間中、その話によって身体を動かす時間がけずられることは決してありません。

 なのに、何故?

 先日、テレビで歌舞伎の名優中村勘三郎の一代記を拝見しました。彼はニューヨークのどまん中に日本風の芝居小屋「平成中村座

」を建て、新作歌舞伎を上演しました。その結果は…?日本語も、日本の江戸時代の風習も知らぬアメリカ人が、芝居が終わるや否や、スタンディングオーベーションなどと生易しいものではなく、拍手と同時にタップダンスの如く、足を踏みならし、小屋中が大ゆれにゆれたとのことで、この興行は今でも今は亡き彼に続けてお二人の息子さんがおやりになり、毎回好評を博しているそうです。

 この番組みで勘三郎氏のひと言が私の心を打ちました。

「俺は歌舞伎の伝統が好きだし、俺の歌舞伎は伝統をちいともはずれちゃいねぇぜ。

 ただ言ひたいのは、伝統って何だい?ずっと続くことだろう。何故続くのだい?面白いからだろう。今、はやりのくすぐりじゃない、沢山の先輩が真剣にとり組んできた心意氣と美しさの中にある「今」を活きる人間の心の叫び、明るさ、それが面白いってことじゃ無ぇのかい?」

 

 「これだ!」

 私はそう思ひました。合氣道には未だ伝統と言うほどの長さはありません。でも伝統は作るものです。否、開祖のご意志をついで作らなくてはならないのです。

「心意氣と美しさ、面白さ」

 これこそ今後の合氣道に科せられた課題なのです。

 合氣道唯心会の皆様、張り切って前進しましょう。