心構え

会主 丸山維敏

 

 今年二月に「心と身体を鍛えましょう」と題して平櫛田中先生の言葉等を紹介しました。

 此の度は、鍛えるべき自分とは何ものか、について記してみました。

 まず、自分とは何ものか、すなわち人間とは一体何ものか。本来の姿とは何か。その答えは「人間、そして生命の本質とは、すべて目に見えないエネルギーである。」

 古代の日本人は、この目に見えないエネルギー即ち宇宙に満ちているエネルギーを「神」と呼びました。しかし、「神」と言う漢宇は古代に今の中国すなわち漢の国から来た漢字です。本家本元の漢の国には、日本人が思う「神(カミ)」の思想はありません。この字は全く別の意味に使われていました。

 すなわち「神」の字は当て字で、本来は「カミ」が本当なのです。

 「カミ」とは「カクレミ」の略で「目に見えない力が身に宿る」という意味です。またその宿る身、すなわち「人」は漢字で、お互いがささえあって生きているというのが漢の人々の意味です。日本人は「ヒト」は「霊止」の意味にとりました。つまり「宇宙の力ーー宇宙霊(宇宙のエネルギー)」です。それが止まるもの、「宇宙の力を表現するもの」の意味なのです。何と、「神の正体は人」だったのです。すなわち人として生まれたものは最初から神であったのです。神は天上に居るのではなく、貴方自身が神だったのです。

 「八百万の神々」とは、すべての人々は神であるという意味だったのです。

 それが縄文時代に続き、古墳時代に先行する約二三〇〇〜二四〇〇年前から約一七〇〇年前までの弥生文化の栄えた弥生時代となって、皆が平等でお互いを神として崇めた風習に、統率者と呼ばれる権力大好き人間が現われ、神は天上に居て、自分は神の代弁者なり、下々の者は我にひれ伏せと言い出しました。

 もっと時代が下がると(七一二年)「古事記」なる書物を書かせて、神と人々を天上と地に分けてしまったのです。

 私達合氣道唯心会の理念は「人は神であり、すべての人は平等であり、すべての人は同じ力を持ち、すべての人は宇宙によってひとつにつながっている。それを悟り、その力を出すには氣を出すこと」です。福澤諭吉先生は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」と言われました。これこそ我が理念です。

 では、氣を出すにはどうしたら良いのか。

 それは「自然界(この地球世界と宇宙)に遍満する力を自身に取り込むことによって潜在している力を増幅させ、さらにはその力に方向性(自分の生きる目的)を持たせ、そのふたつの要素(増幅+方向性)の調和によって強大な力を発動させること」と定義されます。

 つまり、いつでも心を臍下且田に収め、どっしりとした落ち着きと深みが、その人の氣をを出す(神として宇宙と一体となる)資質となるのです。

 中国の明の時代の人で呂新吾という人がいます。この人が自身の著である「呻吟語」の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聰明才弁なるは、これ第三等の資質。」と記しています。

 意味はどっしりとした落ち着きと深みが、第一等の資質である。些事にこだわらず、大きな度量を持つことが、第二等の資質である。賢明で才能豊かで雄弁であっても、それはたかだか第三等の資質にすぎない。

 私の大好きな言葉です。